2010年1月25日月曜日
2010年1月16日土曜日
大船「観音食堂」
念願の観音食堂(夜は行っているが)にサイクリングの途中に立ち寄る。フライ定食をいただく。アジのフライ2枚にポテサラ添え、あさりのお味噌汁に、マグロの佃煮(お刺身で余った部分を丁寧に集めて作った感じがいい)、おしんこ。どれも丁寧に作られていて好感が持てる。お茶もしっかり濃くていい。
隣の外人のおばあさんはバスで小旅行でこの店に来たらしい。いい店を発見されました。この外人のおばあさんと相席になっている日本人のおばあさんの連れの女の子はどじょう汁を飲んでいる。600円もびっくりだが、小学生の女の子がどじょう汁を飲んでいるというのはもっとびっくり。昼から日本酒を御燗で頼んでいる家族連れのサラリーマン。みんな楽しそうで、自由だ。
このお店の問題は普段は8時半がラストオーダーということ。
2009年12月28日月曜日
日曜夜の「ミントンハウス」
普段と違う時間に動いてみると発見があるものだ。
日曜夜9時「ミントンハウス」に立ち寄る。
お店がお客でいっぱいでびっくり。若めの人もいるし。
何か有力なメディアで取り上げられたのかしらん。それともいつも日曜夜はこうなのか?
もしかして、こういうマーケットの可能性があるのかと思わせる。
ジャズが流れて、マイナーな雰囲気で、安価でまったりできて・・・・、こう書いてみると可能性がある気もする。時代のニーズに合っている?ふむ。
赤坂のそば屋もジャズが流れているし、ジャズも来ている?
この店は年金生活者がお客の中心だと思っていたが・・・。
いいスピーカーでジャズが聴けて貴重な場所ではある。
みんな10時を過ぎても帰る気配がない。もしかして近所住まい?もしかして夕食代わり?
いろんなことを考えさせられました。
今日はビール2缶とおでん。おでんは期待以上。
ちなみに2010年は35周年だそうです。
日曜夜9時「ミントンハウス」に立ち寄る。
お店がお客でいっぱいでびっくり。若めの人もいるし。
何か有力なメディアで取り上げられたのかしらん。それともいつも日曜夜はこうなのか?
もしかして、こういうマーケットの可能性があるのかと思わせる。
ジャズが流れて、マイナーな雰囲気で、安価でまったりできて・・・・、こう書いてみると可能性がある気もする。時代のニーズに合っている?ふむ。
赤坂のそば屋もジャズが流れているし、ジャズも来ている?
この店は年金生活者がお客の中心だと思っていたが・・・。
いいスピーカーでジャズが聴けて貴重な場所ではある。
みんな10時を過ぎても帰る気配がない。もしかして近所住まい?もしかして夕食代わり?
いろんなことを考えさせられました。
今日はビール2缶とおでん。おでんは期待以上。
ちなみに2010年は35周年だそうです。
2009年12月17日木曜日
洋食のキムラ
2009年11月5日木曜日
謝甜記
2009年10月18日日曜日
日本飛行機
新杉田の駅の近くにある会社。自転車に乗って走っていて見つけ、ずっと気になっていたのでHPを見てみる。
旧海軍の航空機生産を目的に戦前、元海軍中将を社長に発足。93式中間練習機(愛称赤トンボ)を2733機生産しているほか、戦闘機なども生産している。
戦後いったん閉鎖され、現在は飛行機の部分品の製造、飛行機の修理・整備などが主要事業。風車なども製造。89年に中核派による時限発火装置による鎌倉の専務宅放火事件(専務の妻が死亡)というような不幸な事件もあったようだ。現在は川崎重工の完全子会社。
戦後はずっと「部分品製造」にとどめられてきたのだろうか?それとも単に技術的なことなのだろうか?いろいろ事情のある会社のように見える。
旧海軍の航空機生産を目的に戦前、元海軍中将を社長に発足。93式中間練習機(愛称赤トンボ)を2733機生産しているほか、戦闘機なども生産している。
戦後いったん閉鎖され、現在は飛行機の部分品の製造、飛行機の修理・整備などが主要事業。風車なども製造。89年に中核派による時限発火装置による鎌倉の専務宅放火事件(専務の妻が死亡)というような不幸な事件もあったようだ。現在は川崎重工の完全子会社。
戦後はずっと「部分品製造」にとどめられてきたのだろうか?それとも単に技術的なことなのだろうか?いろいろ事情のある会社のように見える。
2009年9月26日土曜日
真金町
滝頭の市電保存館からどこへ行こうかうろうろして、横浜橋商店街に入り込み、商店街を抜けたところにあり、お店に行列ができていたので気になった「豊野」で天丼(600円也)をいただく(一枚目の写真)。おいしいそうで誘われてしまい、すでに昼食を食べていたにもかかわらず、午後3時の昼の閉店前にまた食べてしまった。そのあと、うら通りをうろうろすると、タイ居酒屋や台湾・韓国などアジアンストリートが出現。喫茶店もレトロもレトロで怪しくて、喫茶店さえ入れません。生活空間の一部をお店にしているという風情。入り口から見上げる2階には洗濯物があるし。まあ、こういうお店は地元の人たちのものなんだと思う。
横浜にもこういう場所はたくさんあります。こういうところに横浜の生身の人たちの生活があり、アジアがあり、ここの人たちはほとんど海外に行くとかということとは関係なく、そごうの地下の商品街も関係なく生きているわけで、華やかな横浜と、こういう横浜と、どっとも横浜なんだと、鎌倉街道を走っていてもこの辺りは感じるものがあるが、一本横に入るとより深く深く感じる。
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